世界中から観光客が訪れるイタリアの一大観光都市・ヴェネツィア。

水の都として名高いその美しい情景は、まさに中世に迷い込んだかのような錯覚に陥る素敵な街である。

世界三大映画祭のひとつとして有名なヴェネツィア国際映画祭はまさに今、ここで開催されている。古都にそぐわない豪華クルーザーが本島の端に停泊しており、世界中からVIPが訪れていることがわかる。

何故そんな事がわかるのか? 実はこのメルマガは今ヴェネツィアで書いている。

今回、映画祭と同時期に開催されている「ヴェネツィアビエンナーレ」という127年の歴史を有する国際美術展の取材のためにこの場所へ来た。

ビエンナーレ自体は11月まで行われ、万国博覧会のように各国のパビリオンがあり期間ごとにアーティストの展示も入れ替わる。偶然この映画祭の期間に私が親交のあるパリ在住の日本人アーティストが出展をするという事でタイミングを合わせた。

彼の名はYUSUKE AKAMATSU氏。日本でこそ知られてはいないが彼は自身のキャリアの中でグレースケリー財団(モナコ公国)、アルジャジーラ財団(UAE)、デヴィッドリンチ財団(NEWYORK)へ日本人で唯一作品を寄贈している国際的に評価の高いアーティストだ。彼の作品は百万単位で取引されており世界中のギャラリーからオファーを受けている。

NFTという言葉が流行する遥か昔からデジタルアーティストとしてiPhoneを片手に作品を制作していた事も彼が注目を集める要因のひとつ。今回のビエンナーレでは他アーティストによるNFT展示もあったことから、各国のギャラリーや投資家だけでなく、NFTプラットホームやメタバース関連企業なども世界中から集まっていた。

さて、ここで質問。皆さんはNFTと聞いてどんなものをイメージするだろうか? おそらく多くの答えはクリプトパンクスやBAYCのようなコレクティブアートだろう。ひとたびOpenseaを開けば所狭しとキャラクターの絵がリストアップされている。SNSのプロフィール写真に設定したり、コミュニティに参加するなどして所有欲とキャピタルゲインへの期待を楽しむのが現在の楽しみ方の主流になっている。

このベニスビエンナーレはどうだろうか。はっきり言ってその逆を行っている。

1895年から続く由緒正しき伝統アートの祭典である。ここに集う人々はアートで生計を立てている文字通りのアーティスト。

そんなNFTの大衆イメージと逆行する伝統アートの住人達がNFTの扉を開き始めているのである。これは大変興味深い出来事である。

歴史を振り返ると著名な画家の背後には常にパトロンの存在があった。

イタリアのルネサンス期を代表するレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどが貴族の庇護を受けていたように、日本美術史上最も著名な画家の一人と称される狩野永徳も織田信長や豊臣秀吉の庇護を受けていた。

現代は産業の発展などもあり、アートが大衆へ浸透したことからその構造はもちろん変わっているが、伝統芸術の住人達がNFTへ足を踏み入れている状況は彼等の応援者(パトロン)もそれに同意しているという事である。

2021年、世界的オークションハウスであるクリスティーズにてデジタルアーティストのBeeple氏のNFTアートが6940万ドル(現在価格約97億円)で落札された出来事は有名だ。彼がNFT業界の大きなユースケースを創ったと言っても過言ではない。

この出来事で確かに彼は世界的に知られる事になった。しかし、Beeple氏のアートはLouis Vuittonの2019年の春夏コレクションにおいて、すでに使用されている。つまり、元々それだけの評価を受けているアーティストだったのである。

ファッションに興味関心が無いと語る彼が高級ファッションブランドとコラボレーションする事は皮肉的で面白いが、そのきっかけは当時のLouis Vuittonのデザイナーが、Beeple氏のインスタグラムを見た事がきっかけであったと後に語っている。アーティスト達にとって、著名なギャラリーでその存在を知られる時代はもはや昔の話なのだ。

話を戻すと、NFTの利点は保有の証明ができるからこその部分にあるが、唯一無二を証明できるが故に、二次利用の用途も多岐に渡るだろう。伝統芸術ではコピー品、贋作が業界としても問題視されていたが、デジタルであるが故に紅一点であればよく、交通整理する必要も無くなる。むしろ作品のコピーが出回るほど宣伝効果もあり本物の価値が上がる可能性もあるのではないだろうか。

今後、伝統芸術のアーティスト達にとってNFTがスタンダードとなる事は間違いない。だが、彼等は必ずしもOpenseaに出品したいとは思わないだろう。何故なら、コレクティブルアートと一緒にされたくないからだ。AIが作った作品や転売前提の値上がり期待の作品など彼等は商業的な色合いを嫌う。もちろん作品としての評価を求めているから当然の事だろう。

だからこそ、どのプラットホームに自身の作品を出品しているかが重要になり、プラットホーム側も差別化が必要になる。伝統芸術にとってのギャラリーがNFTではプラットホームに値するので、アーティストとしてはなるだけ毛並みの良いプラットホームと契約したい。

また、消費者にとっては購入した電子書籍が転売できないのと同じように、プラットホームが定める所有権などの法的権利関係や保有する付加価値についての理解は事前にしっかり確認すべきである。NFTはweb3ではあるが、とは言えまだ黎明期。web3風web2のサービスなども想定されるので注意したい。

このように掘り出せばキリがないが、アートとNFT、メタバースは相性が良い。

もしかしたら近い将来、ルーヴル美術館の作品を自宅でワインとプロシュートを口にしながらメタバース空間内で鑑賞できる日が来るかもしれない。広い美術館内を歩き回る必要が無い事を切に願う。

最後に。私が20代前半の頃、ほんの好奇心でフィリピンのスラム街へ行き3畳くらいのスペースで家族5人が寝ている家庭を訪問した事がある。現代とは思えない居住環境に驚いたが、ラジオから聞こえてくる最新のヒットチャートを聞いて音楽は平等で良いなと思った。

メタバースであれば場所や環境を問わない。もちろん身分も。病気などで外へ出られない人もそうだ。やりたくてもできない環境にある人にとって、メタバースを通じて体験できる世界がどこかの誰かにとって大きなターニングポイントになる未来が実現される事を、私はweb3に期待している。